雑記

好きな映画は『お嬢さん』『青い春』『ピンポン』『天気の子』です

10/4

 家に貰い物の水出しコーヒー(多分カルディのもの)があった。偶然気が向いたので作ってみることにした。水出しコーヒーのパックと水400mlを大きめの容器に入れ、8時間以上浸出させるらしい。500mlのボトルで作れるかな?と試したところ、コーヒーのパックが大きすぎて口に入らない。諦めて1ℓの容器にパックと水を入れ、一晩置くことにした。

 出来上がったものを朝飲んでみた。さっぱりとしていて、苦酸っぱい味がする。元々コーヒーが苦手なこともあり、決して好きとは言えないが、普通に飲むインスタントコーヒーより断然おいしかった。

 

 『こぽこぽ、珈琲』を読み終わった。河出書房新社のおいしい文藝シリーズという、特定の食べ物をテーマにエッセイを集めたアンソロジーのひとつだ。短編が31篇収録されていて、読みやすい上にどれも毛色が異なっており面白い。コーヒーにこだわる人もいれば、コーヒーは好きだけど味の違いがわからない人、コーヒーが苦手な人もいる。コーヒーの種類もウインナーコーヒーやダッチコーヒー、アイリッシュコーヒーやエスプレッソなど幅があっていい。

 一篇目の野呂邦暢「コーヒー談義」には、「地獄のように熱く、恋のように甘く、思い出のように苦く、というのがコーヒーを淹れるこつだそうである。(中略)ところで、淹れ方の形容に関して地獄のように熱く、というのはいいとして、恋のように甘く、というのはどうだろう。恋のように苦く、思い出のように甘く、というのが本当ではないだろうか。」という文章があった。良い文章だ。

 湊かなえの「コーヒー革命」というエッセイも収録されていた。湊かなえの作品は『サファイア』『告白』しか読んだことがなかったのだが、どちらも怖さのある作品である。このエッセイにそういった怖さは全くなかった。日常なので当たり前ではあるのだが、衝撃だった。

 寺田寅彦「コーヒー哲学序説」も良い文章が多かった。「パリの朝食のコーヒーとあの棍棒を輪切りにしたパンは周知の美味である。」「コーヒーの味はコーヒーによって呼び出される幻想曲の味であって、それを呼び出すためにはやはり適当な伴奏もしくは前奏が必要であるらしい。」あたりの文章が好きだ。コーヒーを飲むのではなく、喫茶店のもつ雰囲気を味わっているというのはわかる気持ちがする。

 村上春樹の「ラム入りコーヒーとおでん」というエッセイもあった。変なタイトルだな、と思いながら読んでみると、冬においしいものの話だった。村上春樹の文章に初めて触れたのだが、「〜だ。」「〜です。」が入り混じる文で衝撃を受けてしまった。居心地がわるい。部屋にありつつ手をつけていない『ノルウェイの森』を読むことができるのか、心配になってきた。

 先日、木村衣有子『もの食う本』という、食べ物に関する本の読書感想文集のような書籍を読んだ。そこに山口瞳『行きつけの店』という本が登場する。9/21の日記でも記したエッセイだ。その中の短編が、実際に『こぽこぽ、珈琲』の一篇としておさめられていた。読みながら、余の巡り合わせに嬉しくて足をばたつかせてしまった。その音を聞いた家族に「犬が歩っているみたいな音がする」と言われた。

9/21の日記

https://kinrenkanatuki.hatenablog.jp/entry/2022/09/23/082227

 『もの食う本』では嶋中労「コーヒーに憑かれた男たち」という本も紹介されている。この本は自家焙煎コーヒーの御三家と呼ばれる銀座のランブル、南千住のバッハ、吉祥寺のもかについて記されているらしい。『こぽこぽ、珈琲』に掲載されている村松友視「ランブル関口一郎、エイジングの果てのヴィンテージ」では実際にコーヒー豆のエイジングを行うランブルのオーナーが登場する。妙な繋がりを感じる。

 

 リサイクルショップでかわいいジャケットを見かけた。ジャカード織りで見かけるような柄の、丈が短めのジャケットだ。洋服の上から羽織ってみたところ、サイズもぴったりで笑ってしまうほど似合っていた。肩パッドもついている。

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 回転寿司で、生まれて初めてあぶらぼうずを食べた。縁側とはまた違った白身なのに、噛めば噛むほど脂が出てくる。衝撃的すぎて言葉を失い「なにやらすごい味がする」と言い続けていた。

 

 スーパーに、何やらよくわからない大きいパックのきのこ「あわび茸」が売られていた。買って帰り、塩焼きにして食べてみると、かなり独特の匂いがあった。出汁にはなりそうなので、後日カレーの具材になった。最近読んだ本によるとキノコは水から煮出すといいらしい。とても美味しいカレーができた。